TEO Side Story TEO Side Story
last updated 1997/09/21

第129話(全130話)

バアグ(5/5)




            ピチョン。ピチョン。

 水が滴る音が、家の中に響いている。
 その音に揺り起こされるようにして、マリイアは瞼を開けた。
 水漏れ? お風呂場だろうか。マリイアはまだ半分まどろみながら、そう思う。ピートが学
校から戻ったら、修理させてみよう。もうあの子も水道の修理ぐらい出来るだろう。子供では
ないのだから。そう思い、マリイアは少し微笑む。いつまでも子供でいて欲しいのに、何か用
事を押し付けようとする時ばかり、もう子供じゃないのよ、などと口にしてしまう。いつまで
もピートは子供のままだ。母にとって子供はみんなピーター・パン。決して大人にならない永
遠の子供。何時だろう。もうすぐピートが戻ってくる。ベッドに寝ていたら心配するだろう。
いつだって、あたしのことを心配ばかりしているピートなのだ。起き上がっていたほうがいい
かもしれない。思って、マリイアがベッドの上に上体を起こした時、風呂場のほうで大きな水
音が響いた。
 バシャン!
 何か大きな者が水に落ちた音。いや、水の中から大きなものが飛び出してきたような音。
 驚いてマリイアはベッドから飛び降りた。寝ている間に熱が出たのか、足がふらつく。けれ
ど、大丈夫。歩ける。マリイアは風呂場へと歩き、その扉を開けてみた。
「あ。母さん」
 バスタブの中から水浸しのピートがマリイアをみつめ返した。
「何をしてるの?」
「水漏れを直そうと思ったんだ。そしたら足が滑っちゃって、頭からバシャンって」
「あらあら。早く水を拭きなさい。あなたまで風邪をひいちゃうわ」
「うん、すぐ乾いた服に着替えるよ」
 言いながらピートは立ち上がる。ザァッと星と星の間を流れていた川の水が、ピートの頭か
ら足元へと滴り落ちた。
「そんなものでネジを閉めるつもりだったの?」
 マリイアはピートが手に持つものを見て笑った。ネジ回しを持っているべき手に握られてい
たのは、茶色い花だった。
「あ。これは母さんにあげようと思って。本当は摘んじゃいけなかったんだけど、気が付いた
ら握っちゃってた」
 言いながらピートは茶色い花をマリイアに差し出した。ちっとも綺麗じゃない茶色い花。美
しくはなく、どちらかと言えばみすぼらしい印象の花。その花を見て、しかしマリイアは嬉し
そうに顔を綻ばせる。
 まったくピートったら。この子はいつだって、あたしのことを心配してばかりいる。それは
リュウの冒険に出てくる花だ。その香りを嗅げば、どんな病いも癒される。
 マリイアはピートの手から花を受け取った。
 そして僅かに触れた息子の指先から、母は何か微妙な変化を感じ取った。
「あら」
 とマリイアはピートの顔をみつめる。ピートはタオルでゴシゴシと頭をふきながら、マリイ
アの視線に気づいて顔を上げた。
「何?」
 訊くピートにマリイアは言う。
「何だか、母さんがちょっと寝てる間に、お前はひと周り大きくなったみたいね」
「大きくなったよ、母さん」ピートは答えた。揺るぎない眼差しで。「ぼく、とても強くなっ
たと思うよ」
「自分の口でそういうことを真っ直ぐに言えるんなら、きっと本当にピートは強くなったんで
しょうね。強くて大きくなったんだわ。でも、いったい何があったの?」
 いろいろなことがあったよ。
 素晴らしく心踊る出来事があったんだよ、母さん。
「母さん、頼みたいことがあるんだ」
「なあに?」
「・・母さんが書きかけてる新しい物語、ぼくに続きを書かせてくれない?」
「え?」突然の意外な申し出に、マリイアは目を丸くした。「どうしたの、いきなり」
「ぼくに何があったのか、それを書きたいんだ。書きたいことがたくさんあるんだよ。母さん
やマクファーソンさんや、それからジェイド爺さんにも、みんなに伝えたいことがたくさんあ
るんだ」
 真面目な目で、心からの言葉で言うピートをみつめて、マリイアはゆっくりとうなずき返す
。「みんなに伝えたいことがあると、本当にそう自覚したんなら、母さんはいま、ひとりの作
家の誕生に立ち会っているんだわ」
 マリイアはいったん風呂場を後にして、自分の机まで歩いた。けれど原稿は机の上ではなく
、看病していたピートが座っていたのだろう椅子の上に置いてある。それに手に取り上げて、
マリイアは風呂場で体を拭いているピートを振り返る。
「どうぞ、ピート。ここに原稿があるわ。いまからこれはあなたのものよ。好きなように書い
てちょうだい。母さんの物語の続きを。いいえ、違うわね。あなたの、あなた自身の物語を書
きなさい」
 ピートは、まだ半分濡れたままで、テオの川の水をしたたらせたままで、風呂場から進み出
てくると、マリイアの手から原稿を受け取った。
 ここにぼくは、ぼくの物語を書き記して行こう。
 テオに吹く風の物語を。
 風に乗って空を舞うドラゴンの物語を。
 ドラゴンの心を読むフィンフィンの物語を。
 そして風に赤い髪をなびかせながら、ワーターの背に乗って草原を疾走する、ぼくだけの姫
君、マリカの物語を。
 窓の外で鳥の鳴き声がした。目を上げるとヒナツバメがしきりに囀っている。
 そう。きみのことも書かなくてはね。
 ピートはヒナツバメに微笑みかけた。
 原稿の一ページ目に記された、物語のタイトルを、ピートはみつめた。たくさんの語られる
べき物語がそのタイトルの向こうからピートを手招きしていた。
 ぼくはもう一度、この物語の中へ飛び込んで行こう。そして物語をこの世界に解き放とう。
 
 物語のタイトルは、当然のように、こう記されている。

 『テオ・・もうひとつの地球・・』

(つづく)




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